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うどん・そば店の昔の看板。

うどんの始まりは、奈良時代って聞いたことがあります。
中国から渡ってきた、唐菓子っちゅうもんが、うどんの元祖らしい。
小麦粉の団子の中に、何かを入れて煮たもの、
丸くこころころしているから、「混どん」と呼ばれて
それを、熱く煮て食べるから「温どん」となり、
「おんどん」がなまって、「うんどん」「うどん」になった、
って聞きました。ウソかほんまか知らんけど・・・。
「そば」
江戸庶民が手軽に食べることのできるもので、店数も、そうとう多かったらしい。
「二八そば」は、なんで「二八そば」か?
ご存知とは思いますが、値段が、16文だったんで、2・8の16で二八そば。
と、そば粉が八分、つなぎが二分を調合したコトからきている。
個人的には、 後者は、なんというか、 |
ということで、ものの本によると、
うどん屋、そば屋の看板は、
日本も中国も共通するところがある。
どちらも、板切れに、細く切った紙の房を、下げている。
ちょこっと、いらすとをば、描いてみました。
子どもの頃に遊んだ「奴凧」を思い出すんでございます。
こんなに足はなかったですが。なぜか、2本で飛ばしてましたな。
地元の鷲羽山の頂上から、四国へ向けて、飛ばしてましたな。
糸は、オカンのミシン糸を、こそっと拝借して。
なんで、けっこうな距離がありましたな。
子どもの距離感ですから、
見た目には、四国まで、もう届いているわけですね。かる〜く。
で、「オイオイ四国じゃで」って、「パツ」っと切るんですな。糸を。
実際は、どこら辺まで飛んでいたんでしょうね。
しれた距離とは思うんですが、
でも、とうぶん空を舞ってましたな。
そんなことばっかしやってましたな。ガキンチョ時代
今、そんなことをやったら、「国立公園で、なにをする」って
怒られるんでしょうな。きっと。
ところで、
細く切った紙の房は、麺をイメージしているんでしょうな。たぶん。
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